とむとむダイアリー

オタクの何気ない日常エッセイ。

2021年12月

皆さんこんばんわ!とむとむでござる~!
2021年もついに今日で最後になりましたね!月並みですが、20歳を過ぎてから一年の流れがすごく早く感じます。

今年はコロナ禍の影響で、外出制限や慣れない生活を送り、なかなかキツイ年だった印象がありますが、こうして無事年越しを迎えられて嬉しく感じております。

自分はこの年末の時期には「来年こそ〇〇を頑張るぞ~~!」と、翌年に向けて気合を入れているのですが、次の年末にはもう忘れてしまっているという意識の低い一年を毎年繰り返しております。

自分にとって、この2021年は、特に大きな出来事や事件は起きず、平穏な一年になりました。
とは言っても、こうしてブログを始めたり、正式に今の職場に採用してもらえたりと、そこそこ変化や成長が感じられた年になった気もしています。

来年の目標はいまだ決まっていませんが、それはまた来年に入ってから考えればいいこと。とりあえず今日は今年一年の頑張りを労いたいと思っています。

さて、皆さんはこの2021年、どのような年になったでしょうか?
躍進の一年になった方、多忙な一年になった方、特に変化が無かった方、色々な方がいらっしゃると思います。

皆さんが良いお年を迎えられるように心からお祈り申し上げます。それでは皆様、また来年もどうぞよろしくお願い致します。

年も暮れ、2021年も残り数日、世間は「仕事納め」で賑わっている。
かく言う自分も、今日が今年最後の出勤日だったので実質「仕事納め」だ。まぁ初出勤が元旦なので、少し不満はあるが…

だが、この年末、行う事すべてが「~納め」になるような気がする。
仕事をしている人なら「仕事納め」、運動をしている人なら「運動納め」、絵や本を創作している人は「書き(描き)納め」と色々ある。

この中で、自分にできる「納め」はなんだろう…と考えていると、まだ「歌い納め」をしていないことに気づいた。

と、いうわけで、今日の仕事終わり、早速近くにあるカラオケ店へ向かった。この時期、ヒトカラ+年末料金と二重で料金が高くなるが、背に腹は代えられない。今日、なんとしてでも納めなければ。

受付の方に部屋が空いているか確認する。世間は冬休み&仕事納め、混雑し入室できない可能性も十分に考えられる。

少し不安だったが、杞憂だったようですぐに部屋に通してもらうことができた。

今年最後のカラオケ、そう思うとなんだか感慨深い。
自分で言うのもアレだが、自分はレパートリー(持ち歌)が多い方だと思う。しかし、今年で一体何曲覚えられただろうか。

今年は色々な曲を聴いたので、もしかしたら今までの中で一番曲を覚えた年かもしれない。
そう思いながら曲を入れていく、前にも言ったかもしれないが、仕事終わりのカラオケが最も楽しい気がする。


ちなみに、最近は自己満足ではあるが、Youtubeで歌ってみた動画を上げ始めており、その動画も合わせて撮影しておいた。

自分の声を聴くのは恥ずかしいが、練習にもなって一石二鳥な気がする。

その後、2時間にも満たない時間ではあったが、今年最後の歌い納めは終了した。
22歳にもなって、遊びに行くところがカラオケだけというのもどうかと思うが、逆に同年代の男子はどういう所に遊びに行っているのだろう。そう思いながら帰路についた。

そして、今日まで忘れていたが、今年は緊急事態宣言のせいで、一年の内数ヶ月間カラオケ禁止生活を余儀なくされた年だ。今年いっぱいは無理だろうと思っていたので、今こうして遊べていることが嬉しく感じる。また来年もお世話になることだろう。来年もよろしくお願いします。

コース料理、レストランや高級ホテルで出されるような高級料理の数々。
この世に生を受け22年、自分は今までこういったコース料理を食べたことがなかった。

よくテレビ番組などで見かけるが、よく分からない名前に、大きい皿にポツンと置かれた小さい料理。なぜか料理ではなく皿にかけられたソース、自分はあまり興味が無いというか、それらに高いお金を払うなら安くて腹が満たされるラーメンの方に魅力を感じた。

しかし、先日妹からレストランのディナー券をもらった。
どうやら、レストランのコース料理が無料で食べれるらしい。妹と母が行く予定だったが、急遽行けなくなったため、自分が誘われたのだ。

コース料理が無料で食べれる、自分の答えは「オフ”コース”」だった。
以前読んだ「範馬刃牙」で、高級レストランに行く時はジャケット着用がマナーと知り、安物ではあるがジャケットを羽織り、店を訪れた。

まず店に入って驚いたのが、席の照明がロウソクだということだ。
「間違えて倒したら火事になっちまうぜ…!」
なんて思いつつ席に着く、本物の火なのか確かめようと思ったが、指先に熱さを感じたため途中でやめた。

料理が届くのを楽しみに待っていると、前菜が届いた。

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長すぎるので料理名は忘れたが、とりあえず鮭とレタスの冷製サラダだ。
いざ実食、冷たい鮭を口に運んだ途端、衝撃を受けた。食感は焼かれた鮭のはずなのに、新鮮なサーモンの風味が口に広がる。

「んまーーーーーーーい!!」と億泰のように声を上げそうになるのを必死にこらえた。

ちなみに、その他にもパスタや魚料理などがあったが、食べるのに夢中で写真を撮ることを忘れていた。

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だが、メイン料理だけはちゃんと写真を撮ることができた。
「牛フィレ肉とフォアグラ」らしい。いや、そもそも牛フィレ肉とはなんぞや!と思っていると、どうやら「ヒレ肉」のようらしい。

同じ部位でありながら、少し読み方を変えるだけですごくオシャンティーに感じる。

肉を切り、ソースを絡ませていただくと、あまりの美味しさに脳がバグった。
貧乏舌の自分からすると、こうも複雑で繊細な味をぶつけられると脳の味覚処理がエラーを起こしてしまう。

どうやら自分が食べてきたものは、食の中でも氷山の一角だったようで、世の中にはもっと美味しい料理が溢れているらしい。

そうして、一通りのコース料理を堪能し店を後にした。
次来るときは彼女と…なんて思っているが、そもそも出来るかどうか怪しいので、次に来るのはまだまだ先になりそうだ。

最近、冬至が過ぎたというのに、一段と冷え込みが強くなったような気がする。
自分は寒さに弱い。これを読んでくれている皆さんは「普段から寒いギャグばっか言ってるし、寒さ慣れしてるのでは?」と思うだろうが、それは大きな間違いだ。その”ギャク”だ。ギャグだけに…

だが、実を言うと、沖縄の冬はそこまで寒くなく、内地のようにマイナス以下の気温になることは無い。それでも、苦手なものは苦手なのだ。

我が家にはストーブやヒーター、暖房器具が無いので、寒さを凌ぐ方法としては着こむか布団に籠るかのどちらかだ。

なので、必然的に自分はほとんど布団の中で生活している。
元々出不精なのも相まって、休日はほとんど布団にくるまりながら生活し、リビングに行く時も布団を羽織るほどだ。もしかしたら着る毛布というやつを買った方がいいのかもしれない。

そして、最近はベッドの上に置ける小型のテーブルを購入し、さらに布団にこもるようになった。
流石にぐーたらし過ぎな生活に危機感を覚え、布団から出ようとするが「また後でいっか!」と後回しにし、いつの間にか昼寝していることもしばしば。

もしかしたら、これは冬眠で、自分は熊なのではないか?と最近思い始めている。
まぁ冬眠する生物は自分と違って毎日栄養を摂取しているわけではないが…

しかし、まだ12月下旬、自分の経験的に1月からが本当に寒くなるので、少し心配になる。
休日は家に籠っていられるが、仕事の日は必然的に外に出なければならない。カイロやネックウォーマー等、防寒グッズを揃えて置いた方がよさそうだ。

サンタなんてないさ、サンタなんて嘘さ、寝ぼけた人が見間違えたのさ

サンタの正体を知ったのはいつ頃だろうか。
プレゼントの量が徐々に減って行った時だろうか、違う。
願い通りのプレゼントが届かなかった時だろうか、違う。
偶然、車のトランクを覗き、プレゼントが置いてあることを知った時だろうか、違う。

だが、これらの出来事は徐々に自分に「サンタはいないのではないか?」という気持ちを植え付けていった。

特に決定打になった出来事が起きたのは、小学4年生。クリスマスイブの晩だったと思う。
クリスマスイブ、子どもにとって一番ワクワクする日と言っても過言ではない。サンタという幻の人物がプレゼントを届けてくれるビッグイベント。当然自分もワクワクしながら帰宅した。

しかし、その年はクリスマスツリーが飾られておらず、帰宅した際、家の中の空気がどことなく重かった。

子どもだった自分は、この雰囲気を感じながらも、自分とは関係ないといった風に考えていた。
そうして、翌日に届くプレゼントに想いを馳せながら風呂に入っていた。

風呂から上がると、母が深刻そうな表情を浮かべ自分に声をかけてきた。
「とむ…今年のクリスマスプレゼントは無いから。」
と告げられた。文面だけ見ると冷たい印象に感じるが、母は本当に申し訳なさそうに謝ってきた。おそらくお金が無かったのだろう。

しかし、この時、「サンタはいない」という事実と「クリスマスプレゼントが無い」という、ダブルで衝撃的な事実が自分を襲った。

いや、当時小学4年生、サンタはいないと薄々感づいていたが、親がバラすまではそのままでいようと決めていたのに、まさかこのような形でカミングアウトされるとは思っていなかった。

その出来事が決定打となり、自分はサンタと言う幻想と決別した。大人の階段を1つ登ったのだ。



時は流れて、自分は小さい妹にクリスマスプレゼントを上げる側となった。そう、自分がサンタになる番が来たのだ。
欲しいプレゼントのヒアリング、予算の確保、買い出し日と隠蔽工作、いざ自分が現場に立ってみると、サンタというのは実に仕事が多いと思い知った。

プレゼントの買い出し日、おもちゃ屋には大人しかいなかった。おそらく、彼らもまた”サンタ”なのだろう。

そして、クリスマスイブの深夜、寝静まったタイミングでプレゼントを置く。これで任務完了だ。
達成感と疲労に包まれながら、その日は就寝した。翌日、妹の喜ぶ声を目覚まし代わりに目を醒ましたが、この喜んだ表情が見れるのはサンタの特権だろう。サンタというのも割と悪くないのかもしれない。

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